あまりにも有名なアメリカ文学を代表する傑作(らしい)ですが(米国では高校生が授業で勉強するそうな・・)、一応あらすじを。赤貧の農家の生まれのギャッツビーは上層階級のきれいで(おばかな?)お嬢様に恋をするが身分違いのため、あきらめて姿を消す。その後さまざまな違法な仕事で財をなし、その後億万長者と結婚したデイジーの対岸に豪邸を建て毎夜彼女の豪邸の緑の灯りを見ながら彼女を想い、頻繁に豪華絢爛なパーティを催しては彼女と再会する日を待っている。隣人(ニック・キャラウェイ)がデイジーのいとこであることから彼女との再会を果たし、恋は再熱する。デイジーの夫トムは女たらしで結婚生活に満たされていなかったデイジーとの不倫が始まるがとんでもない悲劇へと発展していく。(この先はネタバレのためストップ)

バズ・ラーマン監督の得意とする豪華絢爛・かなりいきすぎの風俗描写は想像を遙かに超えて奔放です。これを3Dで観るのね、本当は。幸か不幸か北島サンシャインでは2Dでしか上映していなかったので、3Dの苦手な私は良かったのですが、それでも監督はこれを3Dとして作品を完成したのであればやはり3Dで観るべきだなぁ~とあまのじゃくな私。ディカプリオのギャッツビーはレッドフォードには比べものにならんだろ~とか、トビー・マグワイア―って聞いただけでスパイダーマンが浮かんで感情移入できんわ~とか、このデイジーは1920年代の美人とはほど遠いなぁ~とか観る前はさんざん悪態をついていた私ですが、観た後の満足感はかなりのものでした。いろんなところに突っ込みをいれながら最後は「あ~、意外や意外よろしゅうございました」原作本と40年前のレッドフォード主演の映画と今回の作品が一緒に押し寄せるのでどこが原作と違うのやらなんやら分からなくなるというのが本音です。でも比べてはいけない・・・ということが分かりました。それぞれに違ってみんないい。(陳腐な台詞ですが)

原作にあるギャッツビーの死後、彼の父が訪れるシーンが今回の映画にはないのがやはり残念でした。あれはほしかったな~。ニック・キャラウェイが今回の映画ではアル中でサナトリウムに入っており治療の一環としてギャッツビーとの思い出を回想して医師に語り文章にすることでセラピーが進んでいくという設定も(映画始まってすぐわかるのですが)いきなり語り部のニックが「え~!?なぜに彼がアル中~!?」とかなり驚いたスタートでしたがこれもなぜか話が進むにつれて完全に受け入れてしまった。タイプライターで次々打ち込まれる文字がばらばらになって映画の画面を浮遊するところとか、完全に私は酔ってしまったよ~。こういうところが映画の醍醐味なのかな~。原作をどんなに勝手に変えてもいいんじゃね~・・・と許してしまったよ。トム(デイジーの夫)に生まれの悪さを罵倒されてつかみかかるシーンとか今回初めての演出に人間味がでてて、好きだな~。

どんちゃん騒ぎをど派手にするほどギャッツビーの死後のあわれさが浮き彫りになり幻滅感を最大に演出できると監督は考えたのかしら。わたしは人間の想像力や妄想を駆使して映画や舞台を観たいタイプなので、そこまでサービスしてくれなくても私は大丈夫って思います。タイタニックを上回る費用をかけてタイタニックを上回る興行成績(うわさでは・・今のところ?)なんだからやっぱバズ・ラーマン監督はすごいんだ。

You can repeat the past.「過去は繰り返せるさ」と言い、デイジーの愛をとり戻そうとし最後の最後までデイジーを守った。The Great と最後に書き加えてGatsbyは終わる。(それに値しない女だよ、デイジーは・・・by わたし)